池田コレクション
●池田コレクション●
「池田コレクション」は、七尾市出身の実業家・池田文夫氏(1907~87)が生涯をかけて蒐集した美術工芸品です。
氏は戦後間もない昭和23年(1948)に岐阜県大垣市で紡績会社を設立。中部石川県人会会長、日本経営者団体連盟常任理事など重職を歴任し、中部地方きっての経済人として幅広く活躍しました。また出身地七尾に対する多大な貢献から、昭和59年には七尾市名誉市民に推挙されています。
その一方で池田氏は若年頃より美術品をこよなく愛し、多忙を極める中でも時代やジャンルを問わず広い範囲で数多くの作品を求めました。氏の美術品に対する姿勢はあれこれ難しく考えるのではなく、とにかく気に入った作品にふれることを最上とするものであったといいます。
そして氏の没後、蒐集した美術品を故郷へ寄附して欲しいという七尾市からの要望を受け、ご遺族のご厚意により計125点の作品が同市へ寄附されます。それらの品々は池田氏の名を冠し「池田コレクション」と命名、当時七尾市には美術品を所蔵・展示する施設が存在しなかったため、当館が建設される大きな契機となりました。そして平成7年(1995)に当館が開館すると、所蔵作品の中核に位置付けられたのです。
開館後も順次追加の寄附が行われた「池田コレクション」は現在合計289点。その内容は、池田氏が活躍した岐阜県美濃地方ゆかりの「志野」「織部」や出身地・石川県の「九谷」、さらに「唐津」や「楽」などといったやきものや「根来」をはじめとした漆工、そして日本の近現代作家による日本画および彫刻など。茶道美術品を中心に構成された、実にバラエティ豊かなラインナップが揃います。
それらはいずれも得難い貴重な作品ばかり。池田文夫氏の優れた鑑識眼と美術品への深い愛玩を感じさせる、日本情緒あふれるコレクションといえるでしょう。
夕闇せまるいずこかの山麓。炭焼き小屋と人影が小さくみえ炭焼き作業の途上なのだろう、木々の間からは煙が一すじ立ちのぼる。川合玉堂は愛知県出身の日本画家。「四条派」と「狩野派」、そして西洋画を融合して独自の画風を確立し、四季折々の日本情緒あふれる風景などを描いた。落ち着いた色調でまとめられた画面からは、晩秋のしみじみとした詩情がただよう。そこはいかにも短歌や俳句をよくした玉堂ならではといえよう。
木こりの息子が老父のために泉の水を求めたところ水が酒に変じたという、岐阜県の有名な伝承「養老の滝伝説」に着想を得た作品。本品に表されているのはちょうど息子が泉に入り酒をくむ場面で、まずは彼の顔をご覧いただきたい。その「満面の笑み」をみていると、こちらまであたたかな気持ちになりそうだ。関野聖雲は神奈川県出身の彫刻家。高村光雲に師事し、仏教・神話・歴史などを題材に個性的な木彫作品を制作した。
唐津は桃山時代頃より肥前国(佐賀・長崎県)で制作されたやきもの。その中で鉄絵が施された手を特に「絵唐津」と称する。盃台とは懐石の時、盃を客に勧める際に盃をのせる台をいう。円形で背の高い高台が付属し、羽はやや丸みをおびた造りで口縁部には薄い縁を巡らせる。高台裏以外に長石釉を掛け、草花文や竹矢来文、建造物のような抽象文様を鉄絵により豪快に描く。木製が主流の盃台だけに本品のような唐津製は珍しい。
加賀国(石川県)などで江戸末期~明治時代頃に制作された一連の九谷焼を「再興九谷」と総称する。「粟生屋窯」も「再興九谷」の一種で、その名は同窯創業者で陶工の粟生屋源右衛門に由来する。本品は透かし窓や猫脚など意匠に凝った平卓。木瓜形の天板には色釉を駆使して龍を鮮やかに描き、胴部や持送には桐や唐草、そして各種文様を散りばめる。この手の平卓にはほかにも類例がみられることから、好んで制作されたようだ。
根来は中世に繁栄した紀伊国(和歌山県)の根来寺において、仏具などで使用されたことが名の由来という漆器。本品はシンプルな造りの円高杯である。南九州の神社伝来といわれ、天板裏に朱漆で「天文四年乙未/万膳賢弘」と記される。万膳氏は大隅国(鹿児島県)地縁の一族とされることから、同氏より地域の神社へ奉納された品か。同様の円高杯が名古屋市博物館などに幾例か確認されており、本品もその一連の品なのだろう。